
浅草寺の西側、浅草1・2丁目の一帯で、「公園六区」とも呼ばれる。天保12年(1841年)の火事のあと、幕府は芝居小屋を浅草の猿若町へ移させ、江戸三座が一か所に集まった。これが、浅草が娯楽の町として育つきっかけになったとされる。大正から昭和にかけては東京の娯楽の中心で、浅草オペラや軽演劇もここから生まれた。昭和26年(1951年)に開業したストリップ劇場「フランス座」は、ビートたけし(北野武)が芸人として出発した場所で、今は「浅草フランス座演芸場東洋館」として続いている。晩年の永井荷風の日記には、ほぼ連日「浅草」の2字が書き込まれていたという。
この旅の、この場面
芸人の町、浅草六区
仲見世通りを西側に抜けると、そこは浅草六区。大正から昭和にかけて、東京の娯楽の中心だった一帯だ。古風な街灯が並ぶ通りの脇に、細い路地が奥へと続いている。
ビートたけしが芸人として出発した浅草フランス座は、演芸場「東洋館」として今も現役だ。シャッターには芸人の絵が描かれ、切符売場の扉には「本日は終演致しました」の札。晩年の永井荷風も、熱心に浅草へ足を運んでいたという。
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