
この旅のこと
創業200余年の「駒形どぜう」で、火鉢にかけたどぜうなべをつついた。築地場外市場で松露サンドを買って水上バスで隅田川をさかのぼり、夜は神谷バーのかにコロッケと、観音裏の町中華「あさひ」の中華そば。江戸から続く浅草の味を、食べて歩いた後編。
土地と食のことを、もう少し01TRAVEL JOURNAL
暮れなずむ下町から、駒形へ
浅草滞在の、つづき。日が暮れかけて、高架の線路の向こうにスカイツリーが青く浮かんでいた。交差点をバスが行き交い、街の灯りがともりはじめる。今夜は、江戸時代から続く庶民の味を食べに行く。
雷門から南へ下ると、風情たっぷりの店構えが見えてくる。創業は享和元年(1801年)、どじょう料理の「駒形どぜう」だ。「どぜう」と染め抜いた暖簾の脇には、赤い提灯がずらりと並んでいる。
200余年の歴史を刻む暖簾をくぐると、江戸の面影がそのまま残った空間が広がっていた。壁には古い写真の額がかかり、明治五年六月の大相撲の番付も飾られている。暖簾の奥の調理場は、忙しそうだった。
この場面から映像で見る0:2402TRAVEL JOURNAL
金板の上の、どぜうなべ
ここの自慢料理は、なんといっても「どぜうなべ」。薄い鉄鍋に、下ごしらえを済ませたどじょうがすき間なく並んで運ばれてくる。
ネギは木箱に山盛りで出てくる。箸でたっぷりとすくって、どじょうが見えなくなるほどのせる。籐畳の上に敷いた金板(かないた)と呼ばれる板がテーブルで、鉄鍋は炭火の火鉢にのっている。江戸時代から変わらないスタイルだそうだ。
ノンアルコールのビールをグラスに注いで待つ。くつくつと煮えて、ネギがしっとりしてきたら、お江戸グルメ「どぜうなべ」の食べごろ。取り皿に、どじょうとネギをすくい上げた。
この場面から映像で見る0:5903TRAVEL JOURNAL
七味をふって、割り下を足して
骨まで柔らかいどじょうには、臭みが一切ない。鰹出汁のきいたタレが、ふわっとした身によく合う。
お好みで、竹筒に入った七味をふるのも良し。鍋が煮詰まってきたら割り下をこまめに足し、ネギはおかわり自由なので、さらにたっぷり追加する。
炭火の上で湯気を立てる鍋を前に、ふと考える。この店で、どれだけの人がこの美味しい時間を過ごしてきたのだろう。
この場面から映像で見る2:0104TRAVEL JOURNAL
おひつの白いご飯
どぜうなべに忘れてはいけないのが、おひつで出てくる白いご飯だ。黒い蓋を開けると、炊きたてのご飯がつやつやと光っていた。
茶碗によそって、甘辛く煮えたどじょうと一緒に食べる。箸が止まらない。
江戸情緒あふれる店内では、あちこちの席でわいわいと鍋をつついている。大都会にいることを忘れてしまうひとときだ。帰るときは、下足札を忘れずに。外に出ると、軒先の提灯に明かりがともっていた。
この場面から映像で見る3:0005TRAVEL JOURNAL
東京の台所、築地場外市場
日本最古の地下鉄、銀座線に乗って、何年かぶりに築地へも出かけた。東京の台所、築地の場外市場は、美味しい海産物を目当てにした人で、通りが埋まるほどにぎわっていた。
築地の名物「玉子焼き」も大人気だ。店先では玉子焼きが焼かれ、串に刺した玉子焼きの看板が出ている。小皿にのせた玉子焼きを手に歩く人も多い。築地に来ると、ついつられて食べてしまう魅惑の品だ。
ふと目にとまったのが、玉子焼きのサンドイッチ。老舗の玉子焼店「松露」の店先に、松露サンドの貼り紙が出ている。よし、これにしよう。
この場面から映像で見る4:0906TRAVEL JOURNAL
水上バスで、隅田川をさかのぼる
帰りは、築地から日の出桟橋まで歩いて、水上バスで浅草へ戻ることにした。日本最古の地下鉄で築地に来て、水路で浅草に帰る。浅草は、意外と東京の中心部へのアクセスが良い。
船の窓の向こうに海と湾岸のビルが広がり、水運が主流だった江戸の町の名残は、いまも東京の発展と交通網に映し出されている。「こち亀」の映画の題にもなった勝鬨橋は、隅田川のシンボルだ。以前の旅で訪れた月島を越えると、佃島の高層ビルが一望できる。この景色、好きだな。
黄色い総武線の電車に、こんにちは。両国を越えたら、もう浅草。赤い吾妻橋の向こうに金色のオブジェをのせたビルが見えてきて、船が着いた。ただいま。
この場面から映像で見る5:1607TRAVEL JOURNAL
夜の部屋で、松露サンド
夜。スカイツリーのふもとに明かりがともる。部屋に戻って、築地で買ってきた松露サンドを開けた。
黄色い帯には「つきぢの味 松露サンド」、そして「だしがたっぷり 松露をはさんだ 玉子焼屋の母の味」。缶のノンアルコールビールを添えて、ひと切れ手に取る。
白い食パンに、厚焼きの玉子焼きがどんと挟まっている。かじると、おだしがじゅわっと染み出してきた。窓辺の椅子に座ると、窓の向こうにはライトアップされたスカイツリー。
この場面から映像で見る6:2908TRAVEL JOURNAL
浅草一丁目一番一号
浅草駅を降りたら、まず目に入ってくるのがこの建物。黄色い縦の看板に「神谷バー」の文字が並ぶ。住所は、浅草一丁目一番一号。なんとも格好いい。
明治13年(1880年)創業、日本初のバーとして知られる「神谷バー」。大正10年(1921年)に建てられた店舗のビルは、国の登録有形文化財になっている。タイル張りの壁には、そのプレートがはめ込まれていた。
太宰治の作品にも登場する「電気ブラン」が、ここの名物だ。見本のケースには、琥珀色の電気ブランと生ビール、そしてビールにぴったりの品がずらりと並ぶ。食券を買って、好きな席に座る。
この場面から映像で見る7:2009TRAVEL JOURNAL
電気ブランと、かにコロッケ
電気ブランのチェイサーは、生ビール。それが神谷バースタイルなのです。カウンターで注がれる生ビールのジョッキの脇には琥珀色の電気ブランのグラスが並び、卓上の案内には「相思相愛。生ビールとデンキブラン」。なんて粋な飲み方だろう。
若いころ、興味津々でこの飲み方に挑戦したことがある。ほんのり甘く薬草の香りがする強いお酒で、これは危ない飲み方だと思いながらも、ゆがむ視界で浅草浪漫に浸ったものだ。お酒に弱い人には、すすめられない。今夜は、ノンアルコールのビールにした。
浅草といえば、洋食もまた名物。舌の肥えた文豪たちが愛したハイカラな味を、かにコロッケでいただく。ソースをまとった衣を箸で割ると、白い中身がのぞいた。明治時代に登場したモダンなバーには、文明開化の雰囲気と浅草浪漫の香りが色濃く漂っていた。
この場面から映像で見る8:0610TRAVEL JOURNAL
観音裏の柳通り、老舗の町中華
夜の浅草寺の本堂の向こうに、スカイツリーがそびえていた。今夜の締めくくりは、浅草の老舗町中華へ。
浅草観音裏の「柳通り」を歩くと現れるのが、中華料理の「あさひ」。軒の提灯と、「中華料理」と染めた紺ののれん。ついふらりと吸い込まれてしまいそうな佇まいだ。地元の人や、タクシーの運転手さんにも人気だという。
大正時代から続くという、老舗の町中華。品書きの「そばの部」には、しょうがそばにパクチーそば、四川冷やしそばと、気になるメニューがたくさん並ぶ。名物は、すりおろした生姜がたっぷりのった「しょうがそば」だそうだ。ですが、ここはオーソドックスに中華そばを。
この場面から映像で見る9:0311TRAVEL JOURNAL
中華そばと餃子と炒飯
運ばれてきた中華そばから、煮干しと鶏ガラの良い香りが立ちのぼる。胸が高鳴る。
芯のある中太麺に、甘く感じるほどコクのあるスープ。思わず笑顔が出る味だ。「あさひ」の名が入った丼には、柔らかいチャーシューとネギ。チャーシューもまた美味しい。
ぴしっと焼き目のついた見た目も心強い餃子は、パリッとした皮と肉汁あふれる餡。存在感のある美味しさだ。金色に輝く炒飯は、これぞ町中華という味。地域に根ざした味に、大満足の夜になった。
この場面から映像で見る9:5412TRAVEL JOURNAL
浅草の夜は更けていく
さすが、浅草で愛され続ける名店だ。お腹いっぱい食べたのに、足取りは軽い。提灯の灯る路地を歩き、「花やしき通り」の看板の下を抜ける。浅草の夜は更けていく。
この場面から映像で見る11:2813TRAVEL JOURNAL
番外編、晴れた日の浅草
浅草の番外編。晴れた日、部屋の窓辺には電気ケトルが置かれ、ガラスの向こうにスカイツリーの足もとが見える。カップを手に屋上へ出ると、そこにもスカイツリーがそびえていた。
江戸の時代から、日本の演芸の中心地だった浅草。古き良きを重んじながら、新しい風も受け入れて、進化し続ける町。晴れた隅田川を眺めながら、そんなことを思う。
食事処・酒肴の「水口」は、昭和25年(1950年)創業の食堂。にぎわう店内で、名物の「いり豚」と思われる豚肉と玉ねぎの炒め物、ハムエッグ、ご飯と汁物をいただいた。旅人にも温かく、優しい空気に包まれている。そんなふうに感じた。
この場面から映像で見る11:5214TRAVEL JOURNAL
紹介したい場所は、まだまだ
まだまだ紹介したい場所はたくさんある。紙袋が並ぶ人形焼の店では、人形焼をひとつ。値札には「松竹梅カステーラ焼き」の文字も見える。人力車の並ぶ通りに、おでんの提灯が下がるにぎやかな通り。
豆腐をのせた煮込みをつまみ、花やしきの近くの屋外の席でひと休み。のぼりには「浅草花やしき 開園百七十周年」とある。路地の先に、またスカイツリーが顔を出した。
それは、またの機会に。隅田川をゆく船の窓辺で思う。次はどんな暮らしに出会えるかな。
この場面から映像で見る12:21THE BORROWER’S NOTES
借り暮らしの浅草メモ。
立ち寄った店、台所で作ったもの、この土地のこと。旅のつづきに、覚えておきたいことを。
01立ち寄った店

駒形どぜう 本店
東京都台東区駒形1-7-12
享和元年(1801年)創業のどじょう料理の店。「どぢゃう」の四文字は縁起が悪いとして、「どぜう」と書き表した最初の店とされる。建物は三度焼けたが、創業当時からほぼ変わらない木造の姿を保っているという。籐畳に敷いた金板の上で、火鉢にのせた鉄鍋のどぜうなべに、木箱のネギをたっぷりのせて食べる。白いご飯はおひつで出てくる。帰りは下足札を忘れずに。

つきぢ松露 本店
東京都中央区築地4-13-13
日本橋の寿司店「松露寿司」からの暖簾分けで、大正13年(1924年)に築地で店を構えたのが始まり。戦後の昭和21年(1946年)、寿司ネタが手に入らなくなったことから玉子焼の専門店になった。厚焼きの玉子焼きを白い食パンで挟んだ「松露サンド」を買って、夜に部屋で食べた。店先では、トーストにした松露サンドも売っていた。
出典: tabi-mag.jp

神谷バー
東京都台東区浅草1-1-1
明治13年(1880年)創業で、日本初のバーとして知られる。もとは酒屋の店頭で飲ませる角打ちだった。大正10年(1921年)に建てられた店舗のビルは、国の登録有形文化財。食券を買って、好きな席に座る。名物は電気ブランで、生ビールをチェイサーにするのが神谷バーの飲み方。おつまみも和洋とそろう。今回はノンアルコールのビールに、かにコロッケを合わせた。

中華料理 あさひ
東京都台東区浅草3-33-6
浅草観音裏の柳通りにある、4代続く町中華。大正3年(1914年)ごろの創業ともいわれる。名物は、生の生姜をたっぷりのせた「しょうがそば」。品書きには、パクチーそばや四川冷やしそばも並ぶ。今回は、煮干しと鶏ガラの香る中華そばに、餃子と炒飯を頼んだ。
出典: san-tatsu.jp retty.me


紀文堂総本店
東京都台東区浅草1-2-2
紙袋の「紀文 人形焼」の文字から、紀文堂総本店の店先と思われる。明治23年(1890年)創業の、浅草の老舗の人形焼店。ふわっとした生地に甘い餡の人形焼をひとつ買った。店頭には「松竹梅カステーラ焼き」の値札も出ていた。
出典: aumo.jp
02土地のこと

築地場外市場
東京都中央区築地4-16-2
約460の店が集まる市場の町。場内の魚市場は2018年に豊洲へ移ったが、場外市場はいまもにぎわっている。海産物のほか、調味料や調理道具、食器も並ぶ。玉子焼きの店も多く、波除通り沿いの「築地山長」(1949年創業)では、串に刺した焼きたての玉子焼きが買える。
出典: gotokyo.org

水上バス「隅田川ライン」
東京都観光汽船の水上バスで、浅草と日の出桟橋を結ぶ。浅草から日の出桟橋まではおよそ40分の船旅で、隅田川に架かる12の橋の下をくぐる。浅草の乗り場は、吾妻橋から隅田公園に降りたところにある。桜の季節には、お花見の特別ダイヤで運航する。
出典: tabi-mag.jp

勝鬨橋
昭和15年(1940年)に開通した、鋼のタイドアーチ橋。中央はシカゴ型の二葉式の跳開橋で、戦後も昭和45年(1970年)の試運転まで開閉が行われた。国の重要文化財。2011年公開の映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE 勝どき橋を封鎖せよ!』の題にもなった。
東京メトロ銀座線 浅草駅
銀座線は、昭和2年(1927年)に浅草〜上野間で開業した東洋初の地下鉄で、昭和14年(1939年)に渋谷までの全区間がつながった。浅草駅の4番出入口の上屋は、開業の1927年に建てられたもの。今回は、この銀座線に乗って築地へ向かった。
出典: tokyometro.jp

電気ブラン
神谷バーの創業者が明治26年(1893年)に考案した酒。ブランデーをもとに、ジンやワイン、キュラソー、薬草などを秘伝の分量で合わせている。太宰治の『人間失格』にも登場する。ほんのり甘く薬草が香る、琥珀色の強いお酒で、生ビールをチェイサーにするのが神谷バーの流儀。


スカイツリーの見える宿
今回泊まったのは、窓からスカイツリーが見える宿。屋上に出ると、スカイツリーがそびえていた。夜は部屋の窓辺で、築地の松露サンドを食べた。
PHOTO ALBUM写真を見渡す140全写真をひらく一覧を閉じる
写真を選ぶと、大きな画面で一枚ずつ眺められます。































































































































